1944年、戦時下のインキ安定供給を使命として全国の新聞社の総意で誕生して以来、日本の情報文化を文字通り「インク」で支え続けてきた日本新聞インキ株式会社。2024年に創立80周年を迎えた同社の第112期(2025年3月期)決算が、2025年6月16日付の官報に掲載されました。新聞業界という大きな変革期にある市場を主戦場としながらも、そこで培った技術を新たな分野へと展開し、未来を創造しようとする老舗企業の経営戦略と財務状況を、公式サイトの情報とあわせて掘り下げます。 ![]()

第112期 決算のポイント(単位:百万円)
資産合計: 9,745百万円 (約97.5億円)
負債合計: 7,908百万円 (約79.1億円)
純資産合計: 1,837百万円 (約18.4億円)
当期純利益: 91百万円 (約0.9億円)
今回の決算では、当期純利益として91百万円(約0.9億円)を計上しました。総資産約97.5億円に対し、純資産が約18.4億円、自己資本比率は18.8%となっています。資本金1億円に対し、利益剰余金が1,735百万円(約17.4億円)と潤沢に積み上がっており、厳しい事業環境の中でも着実に利益を確保してきたことがうかがえます。
特筆すべきは、資産の部に計上されている約73.0億円という巨大な有形固定資産です。これは、同社が近年積極的に推進している不動産事業の資産価値を反映したものであり、同社の事業構造が大きく変化していることを示唆しています。
事業内容と今後の展望(考察)
【事業内容の概要】
日本新聞インキは、その名の通り「新聞インキ」の製造・販売を祖業としながらも、時代の変化に対応すべく、その事業ポートフォリオを大胆に変革させています。
新聞インキ事業:
創業以来80年にわたり、同社の根幹をなしてきた事業です。全国の主要新聞社を株主として誕生した経緯から、全国の新聞社との強固な信頼関係を築き、各社の印刷機や紙、要求品質に合わせたカスタムメイドのインキを供給し続けています。情報伝達の正確性と高速印刷に耐える品質を両立させる技術力は、同社のDNAそのものです。
不動産事業:
近年の同社の収益構造を支える、第二の柱へと成長した事業です。2015年に本社機能を川崎工場へ移転し、旧本社ビル(品川)を賃貸ビルとして活用。さらに、2023年には閉鎖した大阪工場の跡地に賃貸マンションを完成させるなど、かつての生産拠点を収益性の高い不動産へと転換させるアセットマネジメントを積極的に進めています。
機能性液剤事業:
新聞インキの製造で長年培ってきた、顔料などを均一に混ぜ合わせる「高度な分散技術」を応用した新規事業です。このコア技術を活用し、印刷分野にとどまらない、新たな機能を持つ液体材料(例えば、特殊な塗料や電子材料など)の開発・販売を目指しています。特許を取得した水性発泡インクなどはその一例です。
ヨシ事業:
水辺の植物「ヨシ」を活用した環境貢献事業にも取り組んでいます。これは、直接的な収益事業というよりも、企業の社会的責任(CSR)や、環境保全への意識の高まりを背景とした、未来への投資と位置づけられます。
【財務状況と今後の展望・課題】
第112期決算で計上された91百万円の純利益は、この事業ポートフォリオの転換が功を奏している結果と言えるでしょう。新聞の発行部数が長期的な減少トレンドにある中、新聞インキ事業だけで収益を維持・拡大していくことは極めて困難です。その減少分を、安定した賃料収入が見込める「不動産事業」が補い、全社的な収益を下支えしている構造が明確に見て取れます。約73億円という有形固定資産の大部分は、これら収益不動産が占めているものと推察され、同社がもはや単なるインキメーカーではなく、「インキ製造技術を持つ不動産会社」へと変貌を遂げつつあることを示しています。
この「祖業の技術を核としながら、アセット(資産)の価値を最大化する」という経営戦略が、日本新聞インキの現在の強みです。
しかし、この戦略にも課題は存在します。最大の課題は「不動産市況への依存」です。現在は安定収益源である不動産事業も、将来的な金利の上昇や、オフィス・住宅需要の変化といった不動産市況の変動リスクに晒されます。
また、「機能性液剤事業の収益化」も重要な課題です。不動産事業が安定収益を稼ぎ出している間に、次の成長ドライバーとして、この新規事業をいかにして本格的な収益の柱へと育てていけるかが、同社の未来を左右します。これには、研究開発への継続的な投資と、新聞業界とは全く異なる市場を開拓していくためのマーケティング能力が不可欠となります。
今後の展望として、短期的には品川と大阪の収益不動産からのキャッシュフローを最大化し、財務基盤をさらに安定させることが予想されます。
中長期的には、機能性液剤事業における具体的な製品開発とその市場投入がマイルストーンとなります。例えば、電子機器の回路形成に使われる導電性インク、建材や自動車部品に使われる高機能性塗料、あるいは化粧品分野など、同社の「分散技術」が応用できる市場は無限に広がっています。どの分野に狙いを定め、どのようにして市場に切り込んでいくのか、その戦略が注目されます。
「目立たない中でも必要とされる存在であり続けたい」。この謙虚な想いを胸に、日本新聞インキは大きな変革の時代を生きています。インキの黒から、不動産の価値へ、そして未来の機能性材料へ。その事業の色彩を大胆に変えながら、「世の中に必要とされる “いいね”」を創造し続ける挑戦は、これからも続きます。
企業情報
企業名: 日本新聞インキ株式会社
代表者: 代表取締役社長 手塚 泰彦
事業内容: 新聞インキの製造・販売を祖業とし、全国の新聞社を主要顧客に持つ。近年は、工場跡地などを活用した賃貸ビル・マンション経営等の不動産事業を第二の柱としつつ、インキ製造で培った分散技術を応用した機能性液剤の開発など、新規事業にも積極的に取り組んでいる。